福島おうえん勉強会

チェルノブイリ被災地訪問報告
-ベラルーシ・ノルウェーで見た「放射線と向き合う暮らし」-

講演要旨

原発事故から2 年がたとうとしている。考えてもみなかった厄災が起こった時、私たちが感じるのは困惑だ。Norway1もちろん怒りや悲しみもわいてくるが、困惑が消えてしまうことはないだろう。

一方、「らしく」あることが好まれる日本の風土では人の思いは、例えば「被災者らしい」形でわかりやすく語られてしまうことが多い。当事者は自分の正直な感情がその「らしさ」からはみ出してしまうことにまた困惑を覚えるのだが、「被災者」なら「被災者らしいあり方」に収まらない部分にこそ、一番人間らしい、人の心が現れるのではないか?

放射線を心配して食材を選ぶお母さんはマイクを向けられれば懸念と不信と怒りを語るだろうが、タマネギの産地を確かめているときに胸を占めているのはこれを買って食べるのが一番いいのだろうかという迷い、そして日々決断を迫られることへの戸惑いだろう。

「ふくしまの話を聞こう」という試みが大切にしたいのも、このどこにも納まりきらないではみ出してしまった「思い」である。わかりやすい被災者の怒りや悲しみは、マスコミをはじめ多くの人々が語り伝えるだろう。そこからこぼれ落ちてしまう部分こそ当事者にならなかった人が「もし私に同じ厄災がふりかかったら」と血の通った想像力を働かせるための手掛かりになるはずだ。

2回目の「ふくしまの話を聞こう」は、安東さんと佐藤さんがノルウェーとベラルーシで見たもの聞いたもの を話してくれる。安東さんは福島を諦めないために、福島の日常を取り戻す方法を模索している。佐藤さんはスウェーデンの暮らしの中の放射線対策についての本を翻訳された。お二人の胸には何を見ても常に「なぜこの方法なのか?それはどのような意味があるのか?」という疑問があったはずだ。Bera2例えば安東さんは毎日の食事をツイッターで報告してくれていた。食事を作る人にとって食材選びと献立は直結している。だがこんな視点があるベラルーシの報告が今までにあっただろうか?こう思ったので報告会を開かせていただかなくてはと心を決めた。美味しい良い食事を作りたいと思う人が困惑するのはまさにこの部分なのだ。今回、会場まで足 を運んで下さる100 人以上のみなさん、ネットで動画を視聴して下さるみなさんに、生きている人間なら必ず持っているどこにも納まらずはみ出してしまう部分とともに、私たちの生活と放射能のやっかいな関係がつたわるだろうかと不安と期待でいっぱいになっている。

「気持ちを整理する」というように、切り捨てるのではなく、困惑と向き合って乗り越えなければ、日常と未来は戻ってこない。

チェルノブイリ事故から25年間、厄介な現実と生きてきた人たちは、困惑を乗り越えたのか?どのように?私はそこに悲劇よりも希望があると思うのです。

安東さんが見たもの聞いたものから、現実と向き合って生きるヒントを私もつかみたい。それについてみなさんと語り合って、普通の暮らしを取り戻すことが出来るのかを考えていきたい。

「ふくしまの話を聞こう」は、安東さんとの、ずっと福島を忘れないで話を聞きますという約束から生まれた。だからこれからも話をしてくれる方がいる限り、続けていこうと思う。来年も再来年も多くの方が一緒に耳を傾けてくれることを祈っている。

(文:ナカイサヤカ)

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