第2部 「ベラルーシで見たこと、聞いたこと、会った人」
5.1999年頃〜現在」子供たちの写真
そういう、ちょっと雰囲気が変わってきた頃から現在ですね。
これはですね、ちょうど子ども達が下校の時間帯だったんですよね。ピースサインをしている子どもがいると思うんですけれど、ベラルーシではピースサインて普通しないんだそうです。なにか不吉な意味が逆にあるとかで、普通のベラルーシ人はしないので、この子たちがピースサインしてくれたのは、たぶん、「あ、外国人だ」と思って普段しないことを一生懸命してくれたんじゃないかなと思うんですけれども(笑)。普通に、元気にされています。
1999年にですね、放射線の管理規則というのが定められまして、1999年の規則で、年間の自然放射線を除く追加被曝に関しては、外部被曝・内部被曝併せて1mSvを目標にしようと。これが定められたのが1999年です。事故から13年経っています。
次に図表を出しますけども、これは、内部被曝と外部被曝を両方併せる、というふうになってます。
これですね。一番左端が1999年のものですけれども、牛乳100Bq/kg、バター100Bq/kg、牛肉とか子羊に関しては500Bq/kg。先ほど、ノルウェーのほうが、だいたい一般食品が600Bq/kgというふうになってる、それに比べると、ちょっと厳しめの数値が出ていると思うんですけれども、そのことに関してベラルーシの衛生管理局の方に聞きましたけれども、「厳しいのはなんでだ」と。それは、外部被曝を考慮に入れているからだと。ノルウェーはほとんど外部被曝を考慮に入れなくていいから、そういう数値にしているんだろうと言われてました。
1986年には一応基準が定められてるんですけれども、ただ計測器自体がおそらく当時はあまり出回っていないので、この基準は定めたものの、実際にどれほど効果があったものであったかというのは、1986年当時のものは、かなり疑問です。
テルマン村の現状。「1999年以降から現在にかけての、今の問題は何ですか」と聞くと「経済的な問題が一番だ」と言われました。事故前というのは国営工場があって、就職先が、勤め先があったんだそうです。ところが、現在は工場が無くなってしまっているので、勤める場所がないと。若者の未来がない。「現在の現金収入はどうしているんですか」と言ったら、4頭とか5頭とか、細々と乳牛を飼っていて、そのミルク販売が現金収入の全てだと言われました。
テルマン村というのは人口が半減していますので、コミュニティの維持自体がもう問題になっているんですね。人口が減少して集落の行事ができなくなった。だから、「集落行事みたいなものは何がありますか」と聞いたら、「ない」と言われていて、「集まる機会や場所自体がもう今はないんだ」と。あと、人がいなくなるということは放置された土地も増えますので、そこが荒れた雰囲気になっているという所も目立ちました。
ただ、「放射能の健康問題とかに対する不安感はどうですか」と聞いたら、「そもそも放射能について、今はもう、自分はそれについては問題ないと思う人しか残っていないので、それは大きな問題ではない」と。
避難した方、避難経験についてもおうかがいしてみました。一度は避難された方というのは多いんです。戻られた方も。避難してても戻って来たという。だいたい、この法律ができた頃に移住した方。
これがテルマン村の訪問したお宅なんですね。だいたい、ブラギンのあたりの農家の家というのはこんな雰囲気で、柵があって、建物があって、窓枠がペイントしてあって、すごくかわいい雰囲気なんです。で、皆さん、お花を沢山植えているんですね。とても雰囲気がいいです。
ただですね、これ、同じテルマン村のすぐ近くです。放置された家屋があって、草が生えて、これはほとんど目の前あたりだったと思うんですけどね、訪問したお宅の。だから、集落の中に、こういう放置された建物とか土地がある中で暮らしているという状況です。
もう一つのセレツ村という所でも聞きましたら、やはり、今は、どう暮らしていくかが問題だと。どう暮らしていくかというのは、やはり経済的な問題ですね。職場が少ない、住宅がない、新しく若者が結婚して、新しい家に住もうと思っても、そういう新規の住宅がない。職がないということは、収入を得る手段がないということですね。ただ、セレツ村に関しては、出生率が回復したということがものすごく大きな自信になっているみたいで、雰囲気全体としては、私が話した方、すごく前向きでした。いつも、地域の発展のことを考えている。いろいろ問題はあるけれども、自分たちでそれぞれ対処できるようになってきたし、地域が発展するように皆で考えていこうと 思っている。ということで、ものすごく前向きで明るい感じで、ここは話が終わりました。
これは、農業委員会というところでお話を聞いた時のものです。ジャンナさんという…お会いした方ね、女性ばっかりなんですよね。なぜか放射能問題に関しては、女性が活躍しているとこが多くて、さきほどのノルウェーのアンヌマリーさんもそうですけれども、この方も女性のジャンナさんという方で、農業委員会という所がしていることは小規模農家を支援すること。大規模農家というか、大規模な生産に関しては、ベラルーシは国営農場があって、そちらのほうが管理していますので、そうではない小規模な所を支援している。主な業務というのは、安全な食品を生産するための情報を提供するということです。1986年から1997年くらいにかけては、小規模農家に関しては、農業対策が行われてなかったそうです。なんでしなかったのかというと、「やり方がわからなかったからだ」と。まず行(おこな)ったのが、土壌調査をした、と。
そのあとに、現在していることは、母親向けの支援事業ですね、しています。無償で牛や肥料を配布。牛というのは、ミルクを飲ませるためですね。ヨーロッパ—私はノルウェーも一緒に行きましたけれども—ヨーロッパというのはミルクというものの消費量が全然日本とは違うんですね。二言目には皆さん、ミルク、ミルクというふうに言われるので、食料品で。そういう牛や肥料、肥料というのは、向こうでは、薪を燃やした灰…向こうでは—というか日本でも使うんですけれども—薪を燃やした灰をですね、農地に肥料として撒くわけですね。そういうものが汚染されていて、それが家庭菜園の食品の野菜に移るというところが問題になっているので、そうじゃない肥料を配布する。それから、子ども向けの教育セミナーなんかを実施すると。子ども向けの教育というのは、「放射能とは何ぞや」というのではなくて、どういう所が危ないよとか、どういう食品は危ないよとか、そういう具体的な生活のルールを教える教育セミナーですね。
ここの農業委員会がしているのは、非常に強調されていたのが、現在の問題というのは経済的な問題になっているわけなので、農家のための金融基金を設立したと。単独ではなくて、国際組織からの、ヨーロッパからの支援も入っているそうですが、それで低利子で農家に貸付をして、さきほどテルマン村、セレツ村でミルクが現金収入が全てと言いましたけれども、それはここの、この金融基金を利用しています。低利子で借りて、農家の人が無理なく返済できるような設定になっています。だから、この事業というのが現在のテルマン村、セレツ村では非常に大きな役割を果たしているようです。
衛生管理局という場所ですね、放射線のモニタリングを担当するところの現状。1999年からの動きだと、1999年頃に測定メソッドが確立したと。それで非常にやりやすくなったと言っています。農地に関しても、対策方法が1999年頃に、はっきりとわかってきた。重要なのは施肥対策、農地に関しては。具体的にはカリウムと酸性度の調整。pH調整によってセシウムの作物への移行を抑えることができる。それでも不可能な場合は、もう栽培する作物自体を変えればいいんだ、と。とうもろこしはかなり移行率が低いらしくて、そういうものに栽培を切り替えてしまう。そういうふうにするという対策が、1999年頃にははっきりしたと。衛生管理局というところが現在している仕事として、大きなものに、年に2回ですね、各家庭を回って、空間線量の測定と、ミルクを作っているところについてはミルクを持ち帰って検査をするというのが、大きな業務になっているそうです。
そのミルク検査の結果ですね、「今年の基準値超えはどうでしたか」と言うと、全部で3回あったと。これはセシウムですね。ベラルーシのブラギンの場合はストロンチウムも問題になりますので、ストロンチウムも測ります。今回、セシウムが出た場合は対策方法決まっています。プルシアンブルー—ロシア語ではフェラサイトというらしいんですけども—フェラサイト、プルシアンブルーを投与して、継続検査と、決まっているそうです。
昨年の11月にテルマン村からは、基準値超えが出たそうです。現在は、ほとんど他の地域では起きない、基準値を超えることは。ただ、テルマン村というのは、ブラギン地区の中でも放射能汚染率が高いところでしたので、現在でも基準値超えをすることがある。ミルクの基準は100Bq/lなんですけれども、それに対して400Bqのものが出てしまった、と。
そういう場合はまず、プルシアンブルーを5ヶ月から6ヶ月、牛に投与する。そうするとすぐ、直ちに下がるそうですね。30から40Bq/l位まで下がると。そうなればまた出荷が再開されるんですけども、そうなった後に、通常は年2回の検査を月1回に増やして、それを2年間継続する。こういうのはもう、きちんと規則として、ルールとして定まっているので、基準値を超えること自体も少なくなっていますけども、超えれば超えたできちんとした対策がとられる体制が現在はできています。
あと衛生管理局内では、2000年に「汚染された区域内での生活方法についての具体的ルールのパンフレット」を出版。全部、全ページ、実は写真撮らせてもらっているものがあるので、ロシア語ができる方で興味ある方がいたら、読んでいただければいいと思うんですけど—私は何が書かれているかわからないんですが—要するにどういう食品が汚染されていて、それにどういうところに気をつけるかという具体的な注意事項が書かれているそうです。
ここにあるマップですね。これは農地ごとの汚染マップだと思うんですね。こういう詳しく具体的なものが2000年に出版されています。
衛生管理局の人に現在の状況を聞くと、情報ですね、きちんとした情報が広まると同時に、住民は不安が消えて理性的な反応をするようになった。感情的な反応というのが今はもう減って、減ってというか、殆ど無いそうですね。
今の課題としては何が一番課題かというと、個人の家庭のコントロールというのが、一番難しいと言われていました。各家庭によって状況が違いますし、農村部なので家庭も点在してたりしますし、衛生管理局の職員の方たちが一軒一軒回っていくわけですけれども、都市部は舗装されていますけども、田舎のほうへ行くと舗装されてないんだそうです。雨などが降ると、道路がとても車が入っていける状況じゃなくなって、 歩いて行かなくてはならない家庭があったりして、そういう効率の悪い形で各家庭を回らなければいけないのに対して、専門家の数が不足している。そういうところがちょっと課題というか、現在の問題点だそうです。
コマリン、家畜病院。さきほどのアナスタシアさんのとこですね。これ、コマリンの家畜病院自体は、もともと家畜病院なので、今も家畜病院に10人の職員がいて、家畜の世話をしているらしいんですけれど、このアナスタシアさんのとこだけ、アナスタシア研究室と言われているらしいですけれど、放射線管理の業務をアナスタシアさんだけがしているという形です。だから、家畜病院というよりも、アナスタシア研究室の現状と言ったほうがいいかもしれないんですけれども。民間の放射線測定センター、ヨーロッパの人たちとの共同プロジェクトでやった後、現在も食品検査と生活指導を継続してやっています。食品検査については、年間700件くらい行われていまして、ここは証明書つきの検査証を発行する。普通の、ただ検査する所と、公的な書類としての検査証明書を出せる所と、2種類あるらしくて、公的な検査証を出せるところは非常に限られているらしいんですけれど、これがないと食品を加工に回す時に出せないのだそうです。この証明書があって、初めて食品を加工に回せる、というルールになっているのだそうです。だいたい、30km圏内から検査に来ると言われていました。
コマリンの人口は2000人くらいだそうですね。あとは、ここのコマリン家畜病院は、アナスタシアさんですけれども、1986年からずっと活動されてるわけですけれども、こういう検査結果などは全て衛生管理局のほうに情報を上げて、蓄積するようになっています。ここだけじゃないんですけれども、情報の集積場所というのが役割分担として非常に明確になっていまして、いろいろ質問するんですけれども、「ああ、その情報についてはどこそこにあります」、「それについてはここに蓄積されています」という回答がどこで質問してもすぐに返ってきまして、システムとして、きちんとどこの部署がどういうデータを持ってる、この情報はここに上げるというのがきちんとできているのだなというのを強く感じました。
アナスタシアさんの話で、食品検査の数値としては、2000年頃から下がってきているそうです。どうして下がったのかというと、経験の蓄積で、さっき言いましたけれども、農地の対策がはっきりしてきた、というのが一番大きいというふうに言われていました。カリウムを撒く。酸性度調整をする。生産品目を変更すればいいんだ、とか。
あともう一つ、汚染マップというのも、細かな、身近なレベルにまできちんとできていて、キノコは採れる場所が重要になりますけれども、キノコでポイントになるのは何かと聞いたら、場所だと言うんですよね。採れる場所。そこで採れたキノコはおそらく高い数値が出るというのは、地元の住民の人はわかっている。ここのキノコならおそらくそんなに出ないとか。そういう「場所」が大切なんだと言われていました。も ちろん、品種による違いも非常に大きいようです。あと、イノシシは時期ですね。夏場は非常に汚染が低くて、私たちが見せてもらった検査データでも、60Bq/kgとか、数十Bq/kgのものもありました。何でかと聞くと、夏場は農地のとうもろこしなどを漁って食べるからだそうです。(笑)
これがそういうパンフレットですね。具体的な、こういう品種はこうだというようなことが書いてあるんですね。
同じように、アナスタシアさんと一緒に民間放射線測定所をされていたタチアナさんという方なんですけれども、この方は健康診断業務を主にされているみたいです。コマリン診療所というところでは、健康管理部門と、放射線防護部門と、2つあって、ベラルーシは健康診断が義務付けられています、全国民に。ソ連っぽい雰囲気がそのまま、社会主義国家みたいな雰囲気が残っているので、国家が義務だと定めたら、全国民が健康診断を受ける。
コマリン診療所の放射線防護に関する活動、最初、私も話聞いていて分からなかったのですけれど、これはタチアナさんのボランティアなんだそうです。1995年から始まったCOREプロジェクトの、民間放射線センターの活動が今減って来ているのですけれど、それを自分がボランティアとして受け継いでやってる。それで、WBC(ホールボディカウンター)は、ここではしないんですけども、WBCの計測を受けた後のアフターフォローですね。大人は年1回、子どもは年2回、ベラルーシというか、ブラギンですね、ブラギンでは義務付けられてて、必ず皆、受けています。
昨年のコマリンでの基準値超えは、子どもで7人出たそうです。これ、非常によく把握されていまして、コマリンの中でもなんとか村で2名、なんとか村で2名、なんとか村で3名、皆、サナトリウムですね、保養所に—年間24日かな…行くことになってるんですけれども、そこでWBCを測るんですね。そこで皆さん、発覚したそうです。
そういう基準値超えが発覚すると、コマリン地区の子どもについては、タチアナさんの所にも連絡が来るんだそうです。タチアナさんがそれを聞いて、各家庭に事情を聞きに行って、どういう要因でそういう数値が高い結果が出ることになったのかという原因調査と対策をしに行くのですが、ただ、現在は比較的ベラルーシも昔と違って検査体制が整ってきているので、対策をきちんとできる家庭というのは、もうあらかたちゃんとできているんですね。それでもなお出てきてしまうというのは、家庭の方でそもそも問題があるところが多いので、親がアルコール中毒であったりとか、そういうことに対して全く無関心であるとかですね。そういうところにいくら指導に入っても、効果は上がりにくいですよね。「そういう場合はどうするんですか?」という話を聞いたところ、本当にどうにもならない場合は、強制的に親から引き離すというようなこともある、と。過去にしたこともある、というふうに言われていました。
ベラルーシというと、健康問題についてよく話が出ると思うんですけど、このブラギンの中央病院というところに行って、そこの健康対策についてもお話を聞いてきました。この地区にはブラギン中央病院とコマリン中央病院というのが、日本でいう基幹病院というか、比較的大きな病院としてありまして、ブラギン地区の110km圏内1万4000人、人口がいるそうなんですけれども、そこの人たちが頼りにする病院というのが、このブラギン中央病院。医師数が37名で、ベッド数が131床、子ども用が13床あるというふうに言われていました。
この話を聞いたのが、院長代理のミホフさんという方なんですが、院長代理という割には非常に若いな、と思うんですが。この帽子、コックさんではないんです。(笑) 皆さんね、この写真見せると、「料理人?」と言われるのですが、そうじゃない。お医者さんの被る帽子がこれみたいです。さっきも出ましたけれども、基本的にベラルーシでは全国民に健康診断が義務付けられています。ブラギン地区の場合には、それにオプションとしてWBCの測定が義務付けられています。大人は年に1回、子どもは年に2回。
チェルノブイリ事故の健康影響というのはどうだったのかと聞きました。公式によく知られている子どもの甲状腺がん増加ですね。それと、胃潰瘍の増加が事故後数年間はあったんだと言われてました。ただ、それは、数年後に収束して、放射能の影響というよりは、むしろストレスの影響ではないか?といわれているそうです。ここ3年間、小児甲状腺がんの新規患者は出ていません。
ブラギン中央病院と、他のベラルーシの地区の病院での疾病率、出ている病気に関して差はない、と言われていました。さきほどのベラルーシの汚染地図を見てもらったら、ベラルーシ国内でも汚染度が全然違うというのが分かってもらえると思うんですけれど、それによる差は出ていない。
言われていたのはですね、ベラルーシの情報を見ますと、発がん率はむしろ北部の工業地帯のほうが高い。これは工場からの汚染物質が原因ではないかと疑われているというような話をしていました。この件に関しては、統計的にはっきりと出ているそうです。
一つ、言われていたことで印象的だったのは、「ストレスは定量化できないからね、ストレスは測れないからね」と言われていて。さっきのミホフさんですね、すごい愛想がないんですね。だから、私は一生懸命聞いたんですけれども、同行した他の方は、話がつまんなくて寝ていたと言われてしまったんですけれども。つまんなさそうな顔で。「ベラルーシで免疫が低下しているとか、元気のない子が増えていると日本で言ってる人がいるんですけれども」と言ったら、すっごくつまんなさそうな顔して、「ま、ストレスは定量化できませんからね」と言われてしまいました。
ブラギン中央病院、この建物、この向こう側にある建物なんですけども、こんな感じですね、比較的新しい建物なんですね。
検査体制についても聞いてみましたけれども、やはりチェルノブイリの健康影響というところについては、日本だけじゃなくて世界的にも注目を浴びているところなので、国連などと協力しながら継続的な検査、プロジェクトとして行われているそうです。現在行われている、もうじき終了するものとしては、ブラギン地区の、全地区の、女性に対して乳がん検査を、2001年から2013年にかけて行っているところだ、と。で、現在のところの状況では、ブラギン地区の女性の乳がんに関しては、特別に異常は全く出ていないというところが現状だそうです。
あと、ブラギン中央病院の建物そのものも2005年に新築されて、設備なんかも新しくて、他の地区よりも充実した検査が行われるようになっています。
「この建物を新築したことはチェルノブイリ事故と関係がありますか」と言ったら、関係はあるそうです。健康に対してきちんと検査ができるようにとのことで、2005年に新築されたそうです。設備等も新しいですし、健康診断の充実があるので、早期発見、早期治療ですね。だから、「他の地区との違いというのは何がありますか」というと、「がんの検出率が非常に高い。他の地区よりも早い段階で見つかる患者が多いというのは、これは明確にブラギン地区と他の地区と違うところだ」と言われていました。
他にも、病院以外ですね、簡単な設備がある4つの健康診断所。設備はない、口頭の質問に答えられるだけの健康相談所が12ある。おそらく、確認してないんですけれども、さきほど紹介したタチアナさんの場所というのは、この4つの健康診断所の一つなのかな?と思うわけです。そこで治療はしないというふうに言われていたので。健康診断だけ行う場所ですね。
ブラギン中央病院では、高度な治療は行えないので、小児の甲状腺がんとかですね、発見されたりした場合は、ミンスクのほうの放射線安全医療センターに行くようになっていると言われていました。
ブラギン中央病院で、健康管理などについての話を聞いた時に思ったのはですね、チェルノブイリの健康異常、健康影響に対しては、国際的なプロジェクトとして、国際機関が提携してやっていることが非常に多いんですね。だから、データを隠蔽すると言う人がかなりいるんですけれども、これだけ外国の機関がしょっちゅう入っているところでデータを隠蔽するというのは、なかなか難しいんじゃないかな、というのが私の印象です。ただ、まあ、院長代理のミホフさんというのは非常に愛想が悪かったのでですね、ああいう応答をしていたら、人には好かれないよな、というふうには思いました。(笑)
あとですね、コマリンの小中学校。小中学校というのは、向こうは学年が1年生から11年生、6歳から17歳までがひとまとめの学校になるので、日本で言えば小学校と中学校がまとまった学校体制なので、「コマリン小中学校」。そこの、安全管理教室というところを見学に行ったんですね。ま、クラブですね、放射線安全管理クラブ。生徒数、コマリンの小中学校で生徒数が342人いるそうです。
この安全管理教室、クラブなんですけれども、だいたい日本でいう中学生くらいの11歳から14歳を対象としていて、任意の活動、クラブなので、やりたい人だけがやるという形で、2007年からされているそうです。話を聞いてみると、放射線に関する詳しい授業というのは高校生からで、小中学校の小さな子どもに関しては、生活に関連する具体的なことですね、どういう所に気をつけなければいけないかとか、そういう具体的なことは勉強するみたいですけれども、詳細なことについては高校生から、と言ってました。子どもたちもけっこう、どういう食品が危険とかいうのは、よく分かっていましたね。まず「キノコが危ないんだよ」っていうのは、皆、どの子も言っていましたので。この、測定の様子を、3分半かな。動画があるので。ちょっと3分半くらい見てください。
(動画から)
安東:(子どもたちに話しかける)「例えばこれはどうやって使うの? 教えてくれる?
ちょっと説明して。教えて。使い方。」
(子どもたち、道具を出してきて机にならべる。子どもたちの作業音)
男性:(通訳に)「こんな沢山のカメラで緊張しませんかって。」
通訳:「大丈夫です。初めてじゃないんです。」
安東:(通訳の答えを聞いて)「…ああ、初めてじゃないって。もう慣れてるって。」
(安東、子どもたちがじゃがいもを洗わずに切るのに驚く。)
安東:「すごい。日本だったら絶対洗う。土も、なにも入っちゃうから。」
男性:「今日はもう、かなりおおまかにやってるみたいです。見せるっていう。」
安東:(通訳に)「今やってるのは全くいつも通りのやり方ですか
通訳「いつも通りです。原則的に、いつもこんな感じでやっています。」
安東「いつも通りです。…いつもこんな感じでやってるんだ。」
(動画終了)
あの後計測器に入れて測るんですけれど、えらいざっくりしてたと思うんですけれども、あれ、じゃがいもね、洗ってもないんですよね。だから私、これ検査だから絶対手抜きしているんだと思ったんですよ。だからたぶん音声ちょっと入っていたと思うんですけれども、これ本当に普段通りなのかと聞いたんですよ。そうしたら、普通通りだよって。ああいう感じらしいんですね、あっちの検査。だから、日本人がすごく、きれいに洗って、土なんか絶対に残らない状態にして、しかもマッシュして測っているわけですよ。あっちは土ついたまんま、ざっくざっくざっく、がー、って感じで。あれで確か50Bqくらいだったかなぁ。数値が出たんですよね。「うん、基準値以内だから全く問題ないよ」と子どもたちは返答していました。50Bqくらいだったら、私はあの土が怪しいんではないかと思うわけですよねえ。ただもう、ああいう感じで、子どもたちにとっても、検査するということが非常に身近な環境になっているようです。
あと、子どもへの教育というか、これは子どもではないんですけれども、ブラギン歴史博物館で、ロストランドという企画をしていまして、この企画というのは、ブラギン地区の若者たちが自分たちで企画段階から参加して練ったものらしいんです。ロストランドというのは、強制排除区域ですね。強制排除区域というのはブラギン地区の中にありますから、そこの経験を、経験というか、そこに村があったことを語り伝えていくという、それを主眼とした企画展。
この彼女が解説をしてくれたんですけれども、非常に若くて、20代だと思うんですけれども、解説員だよ、と話を聞いていて、「随分若い人が解説するんだなあ」と思って、最初「大丈夫なのかな」と思っていたんですね。ベラルーシとかも国営の体制なので、お役所的な、ぞんざいな対応で話しに来るのかなと思ったら、非常に詳しく分かっていらして、しかもすごく熱心なんですよね。伝えるということに関して。後から、この企画展示というものは、ブラギン地区の若者が企画段階からやってきたという話を聞いて、「ああ、彼女もその中の一人だったんだろうな」と思って、彼女が非常に詳しい理由もよく分かりました。
その右側に写っている写真にある絵ですね。これが、スライドの中にも何枚かありましたけども、シマコフという、強制排除区域の出身の画家の作品。この画家の展示コーナーがあります。あと、これは地図ですけれども、強制排除区域のマップ、あった村をですね、集落という規模だと思いますけれども、一つ一つ描いてあって、それの解説があって、そこの当時の暮らしぶりとかをイメージした機材、機械というのかな、そういう物とか置いてあったりします。
これはチェルノブイリの初期消火にあたった消防士さんの展示コーナーですね。このブラギン地区出身の消防士さんの人が一人、初期消火にあたって、亡くなっているわけですね。チェルノブイリの場合は、初期消火にあたる時に全く何の情報もなく、ただの火事だという風に知らされていて、で、消防士さん行ってるわけです。だから当然放射線に対する備えなんかなくて、でも、すさまじい線量ですよね。
この絵になっている方ですね。この方は5月…何日ですかね、4月26日に事故があって、5月10日くらいには亡くなっている筈ですので、急性被曝ですね。ブラギン地区出身ということで、街中(なか)に彼の銅像が立っていたりするんですね。初期消火にあたって、他にも何人も亡くなっていますけども、そういう方たちの働きについてもきちんと記念室が設けられて、彼女はそのこともきちんと伝えてくれました。
あとですね、私たちが行った所でもう一つ面白かったのが、営林署ですね。コマリン営林署。なんで営林署なのかなと思ったら、林業というのは、一般職業の中では、一番被曝量が高くなってしまうんですね。ここにいらっしゃる方は皆さんご存知かと思いますけど、森林というのは比較的線量が高い。放射性物質の減衰も低い場所になるわけです。だから、営林署の署内にですね、放射線主任と技師さんが常駐する形になっているんだそうです。そこでさまざまな放射線の管理をしながら森林に入るアドバイスなどをしていくわけですね。
それ以外に、一般家庭の食品検査もここで出来るようになっています。アナスタシアさんの所と一緒で、証明書付のものが出せる公的な検査ですね。ただ、検査 と言っても、NAIシンチの、γ線が計れるものだけですので、ストロンチウムなどを測りたい場合は、ミンスクのほうに持って行くそうです。ここでは昨年、1300件。目標としては3500件検査したかったそうですけれども、1300件しか出来なかった、と言われています。ここの棚の中に入っているもの、この袋に入っているものですね、これは森林で採取したサンプルになります。森林の中の葉っぱであったりとかですね、土壌であったり、きちんと番号が振ってあって、それを採取して、このサンプルに関しては、ストロンチウムが測れるミンスクに送るそうです。
森林の活用についても、木材に関しても、きちんと基準が設けられています。かなり具体的でですね、薪は700Bq/kg、で、材として使う場合は1400Bq/kg、で、白樺の樹液、これはね、あの、甘いんだと思うんです。甘い。食料品に使うんだと思うんですけれども。これは12Bq/kg。で、面白いのがクリスマスツリーですね。1850Bq/kg。クリスマスツリーだけなんで数値が違うのか。木材と一緒でいいんじゃないかなと思うんですが、決まっているんだそうです。で、ここ5年間は、基準値が超えていることは、まずないそうです。この木材に関しては、ストロンチウムが測れるミンスクの方まで送るそうです。営林署内では、おがくずとかキノコとかですね、そういうものしか測らないと言ってました。この森林内の土壌の落ち葉。さっきの写真にあったやつですね。こういうものはミンスクへ送る。そういう風にシステム化がきちんとされてるそうです。
ここ5年間基準値超えは無いと言うので、「じゃあ、5年以上前はあったんですか」と聞くと、そこから先は資料が無い。営林署内では、5年間しか資料を残さない。で、それ以上前になるとミンスクのほうに保存されているのであっちに聞いてくれ。ここの放射線技師さんが赴任してきたのも、ちょうど5年前なんだそうです。だから5年前についてはちょっと分からなかったです、いろいろ。
この写真が営林署の建物で、この建物もかわいいんですけれども、この左側の人が放射線の主任の方で、右側の若い方が営林署の署長さん。ちょっとプーチンに似ていると言ってる人いました。右側の営林署の署長さんは、外国人と会うのが初めてだったそうで、すごく緊張していたそうです。一緒にアナスタシアさんが行ったんですけれども、アンスタシアさんは馴染みみたいなんですけれども、「いつもの様子と全然違ってた」と言っていました。
右にあるマップが、これが営林署の署内に貼ってある森林内の汚染マップですね。一口に森林と言っても、場所によって汚染状況はやはり違うわけなので、どこが高い場所か低い場所かというのは、こういうマップ化して、署内に掲示してあります。
営林署に関しても、林業も、職業被曝としては一番高い職業になるわけですけれども、1999年以降は、年間1mSv 追加、です。追加被曝1mSvを上限にしています。当初はですね、個人計算積算量をつけて被曝量管理をしていたらしいんですけれども、現在はもう、1mSvを超えるということがまずないということが続いているので、個人積算計自体も、既に高いと分かってるホットスポットに行く時以外はつけていないと言われてました。森林内の高い場所というのも、もうはっきり分かっていますので、そういう対応ができるそうです。
「営林署で現在の問題は何なのか」と聞いてみましたら、森林管理そのものというのは、もう苦労はないと。いろいろ、きちんとシステムとしてできあがっていますし、検査体制もできるし、基準値超えも出ないし。ただ、コマリン地区、ブラギン地区はですね、強制排除区域、立入禁止区域と隣接しているんですね。森林などは、そのままつながっていますので。一応柵は設けてあるそうですけれども、 ただ、動物はそういう柵とか関係ありませんので、人が立ち入らない30km圏内区域の森林内では野生動物が増加していて、それがそのまま、こちらに入り込んできて、それで食害が非常に増えている。それが大きな問題なのと、もう一つ大きな問題として、あちらは狼がいるんですけども、狼が狂犬病を持っている。これは非常に大きな問題になっているそうです。
後に、私たち、ブラギン以外にも、最後に首都のミンスクに行きまして、非常事態省チェルノブイリ対策本部という所に行ってお話を聞いてきました。非常に面白いお話が聞けたんですけれども、お話聞いたのが、ミカライ・チュブルカさんと多分読むのだと思うんですけれども、「このチェルノブイリ対策本部という所は一体どういう業務をしてるのか」と聞いたら、「うちの組織は一言で言ったら、フレキシブルにネットワークをつなぐコーディネーター組織と思って下さい」と。カッチリとした省庁というものではなくて、省庁間同士をつないだりする、そういう組織なんだと言っていました。
具体的にどういう所かというと、チェルノブイリ対策本部。これね、ざっくり省略してチェルノブイリ対策本部っていいますけど、本当はもっと長くて、「チェルノブイリの後始末に関わる何とか本部」とか何とか、そういう名称なんですね。
ミンスクの本部に36名の専門職、皆さん専門家なんだと思うんですね、放射線とかに関する。それが本体としてあって、あと付属組織—各地域にあるんですけれども—さっき紹介しました衛生管理局も、ここの部署になっています。それから、30km圏内の生態保護区域内に研究所があるんですけれども、その研究所も、ここの本部の組織。あと、そのほか、保養所のサナトリウム、私たち今回行っていないんですけれども、そこもここの部署になって、あと除染に関する部署なんかもあるそうです。
チェルノブイリ放射能汚染の対策のベースとなる法律を整備するというところが、主な業務になっているそうです。すべての事故対策プログラムは、対策本部で策定。だから、ここが放射線にまつわるベラルーシの法律整備の主軸になっているわけです。ここで、その事故対策プログラムで、策定したものに沿って、細かい規定は各省庁に出す。各省庁の中にも、放射線対策に対する特別部門というのが 存在するそうで、そこに対する助言などもここの対策本部が行う。非常に合理的になっているなと思って、感心して話を聞いていました。
で、ここの方が言われていたことですね。チェルノブイリ対策、放射線対策ですね。放射線対策に関しては各省庁の連携が必須だと。単独の省庁だけでやったのでは駄目だ。対策そのものもいろんな分野にまたがるものだし、法律整備するにしても予算の管理するにしても、各省庁間の調整というのは非常に重要だ、と。
まず、その連携をするのに何が必要かといったら、具体的なデータだと。データなしに連携することは、もう絶対に無理なんだ。そのデータの中でも何が大切かというと、やっぱり汚染度マップだと言われるんですよね。このマップを見て連携することによって、各省庁間が連携してくんだと言われてて、確かに、マップというのは結局何かというと、状況を共有するということだと思うんですね。現状がどういうことか、データを共有。それが端的に表れた形がマップだと思うのですけれども、まずそこを整備することによって、連携の基礎を作っていく。これが非常に印象的で覚えています。
で、これですね、マップですね。左上にあるのがベラルーシ全土のマップですね。あと、下のものなんかもそうですけれども、右側のものになると、これはもっと地域を限定したローカルの、農地のマップですね。ベラルーシに行くと、本当にいろんな所でこういう、いろんな種類のマップがあちこちにあるわけですね。で、マップ、マップと言って、何で地図が重要なのかというと、情報を共有することができるということなんですね。状況を把握して、情報を共有することができる。だから、そのために、こういうマップが重要になってきている、のだと思ってます。
1991年。ベラルーシ独立後に、最初の全国マップが作られています。そのデータのシステム化が出来ると同時に、国内の本格的な対策がスタートしたそうです。1996年から2000年に、フルマップ作成と言われていましたけど、おそらく、ベラルーシに今行ったらですね、2056年までの、10年ごとのベラルーシ全土の汚染マップというのが、各地に貼られてるんですけれども、そういうものが、きっちり整備してできたんだと思います、この頃に。2000年までに情報は完全に整理することができた。2009年にこれまでのマップの集大成を出したと言われています。この実際のアトラスという資料集をですね、CD-ROMにした形のものを貰ってきているんですけれども、本当に膨大で詳細な地図が入っています。情報、状況が整理されたというのはたしかに、ああいうものを見ると非常によくわかります。
でも、チェルノブイリの対策の関連については、冊子を他にも貰って来たんですけれども、これまでにどういう対策がうたれてきたか、どういう影響があったかというのは、きっちり冊子化されて、レポートが出ています。それはおそらく、日本語には翻訳されていないので、日本では未だに断片的な情報ですね。現地にちょっと行って見て来ました、という人たちの断片的な情報ばっかりが溢れることになっているわけですけれども、ロシア語のものはちょっと致し方ないと思うんですけれども、英文のものに関してはですね、翻訳するなり何なりしてもらえないかなと、個人的にも思ったりします。
話を戻しますけども、こういうデータを集積することによって、各省庁間が連携して対策をうっている。
今は上手くいってますけども、反省としてはどうかというと、「ソ連時代ではあるけれども、事故直後の避難が遅れた」と。やはり最初の1週間ですね。情報のなかった1週間に、一番避難しなければならなかった時にできなかった。その結果、小児甲状腺がんが増えてしまったわけですね。それに対しては非常に大きな反省だと。
あと、現在の課題として出てくるのは、やはり—当時のことになってしまうわけですけれども—測定器とか情報が、当時はやはり不足しているわけですね。そうすると、避難設定に関しても、今から振り返ってみると、「あそこ避難しなくてもよかった場所じゃないか」と。そういう場所とかもあったりするんですけれども、ただ、そのことに10年後に気づいても、「やっぱりここ、住んでもいい場所だよ」というふうに決め直しても、それで援助もするそうなんですが、元のようには戻らない。テルマン村なんかでも、人口が半減しているわけですから、これに関してはやはり、難しいと言われていました。
もう一つ、現在の大きな課題として何があるかと言いますと、放射線の対策に関しては、今までご紹介してきたように、体制としてかなりできあがってきているわけですね。細かな問題はあるにせよ、大枠はできている。課題としては、時間経過による補償問題の複雑化と言われていました。
補償問題というのは、線を引くわけですね。ここからここまではなんとか区域。ここからここまではなんとか区域。で、その線引きによって、補償体制が変わってくるわけです。そうなってきますと、まず、放射性物質というのは、皆さんご存知のように、時間が経過すると半減期によって汚染度が変わってきます。そうなってきますと、1986年には、ベラルーシの場合には国土の23%が1Ci以上の、対策が必要な地域だったんですけれども、現在は14%まで減ってきています。汚染区域が土壌汚染濃度によって決まっていますので、そこが変更してくると、補償の変更も連動してくるわけですね。そうなってくると、これまで受けられていた補償が受けられなくなるということで、住民からは、当然不満が出てくる。印象的だったのは、この補償問題に関しては、時間が経てば経つほど複雑化してきていると言われてました。それは非常に印象的です。
あと、そもそも区切りによる補償が異なることへの不満は、やっぱり未だにあるそうです。
1Ci/km2が何らかの対策が必要なところということになると、0.9Ci/km2のところは、受けられないわけですね。そうなってくると、0.9Ci/km2の住民というのは不満を持っている。それに対して、チェルノブイリ事故対策本部は、自分たちが現地に行って説明をしていると言っていました。で、住民の人に理解を求めるけれども、なかなか理解は得られないと。
この、ミカライさんたちは、「私たちの経験を参考にして、福島は一日も早い復興ができることを祈っています」と話を締めくくってくださって、この福島の原発事故が起きたということは、チェルノブイリの、ベラルーシの方たちも皆さんよくご存じで、自分たちの経験を参考にしてくださいというのは、皆さん言われていました。ただ、日本側が実際にどれだけ参考にできているのかというのは、まだまだこれからのところじゃないのかなと、私は思っています。