福島おうえん勉強会

チェルノブイリ被災地訪問報告
−ベラルーシ・ノルウェーで見た「放射線と向き合う暮らし」−

第1部 「ノルウェーの被災地における畜産業と暮らし」

1. 概要説明

スライド タイトル

みなさん、こんにちは。ここに書いてありますように、私は現在スウェーデンのヨーテボリ大学で経済学の研究をしております。

私はそもそも、日本の大学の学部生であった2000年に1年間の交換留学の予定でスウェーデンに渡りました。

それは1年間の予定でしたが、そのまま向こうの大学院に入って修士号を取り、そして博士課程に進み、昨年博士号を取り、現在に至っております。専門は書いてある通り経済学で、現在は経済統計を使った計量的な分析を専門にしております。

研究の傍らで私は、スウェーデンでスウェーデン語と日本語の通訳や翻訳をやっています。その関係で、ちょうど震災の後に、スウェーデンで、チェルノブイリ事故のあとにスウェーデン政府がどういう対応をしたか、そして、どういう失敗があって教訓があったか、どういう知見が得られたかといったことをまとめた、スウェーデン政府や大学・研究機関がまとめた報告書を見つけました。そして、それを昨年1月に『スウェーデンは放射能汚染からどう社会を守っているのか』という形で翻訳して、日本で出版しました。

その関係でですね、私はTwitterをもともとあまり使っていなかったのですが、本のことでTwitterでやり取りをするようになり、そのような中で、安東さんの活動だとか…実は安東さんの活動を知る前に、ICPR111について、非常に興味深い議論をしている人たちがいることを知りました。そして、そういった議論を追っていく中で、安東さんの活動を知るようになりました。

ちょうど1年前の「ふくしまの声を聞こう」というイベントは、私はUstreamでスウェーデンで観ていました。まさか1年足らずの間に私がここに立とうなんていうことは思ってもみなかったので、非常に私も驚いております。

スライド 放射性物質の動き

この写真は、事故が起きた2日後から、放射性物質がどういった方向に流れていったのか、を1日ごとに追ったものです。

チェルノブイリの事故が起きたのが、4月26日の朝1時か2時だったと思います。

その後、2日間のあいだに風がたまたま北欧に向かっていました。しかも北欧では、たまたま雨が降っていたのです。ですから、事故による放射性物質が最初に検出されたのがスウェーデンでした。

スウェーデンには原発がありますが、事故から3日目の朝、ある原発の作業員が放射能漏れを検知しました。

当初彼らは、自分たちの、スウェーデンにある原発が事故を起こしたものかと思って、原発の運転を止めたり作業員の避難を始めましたが、どうも調べていくと、その発生源はスウェーデンではないことが明らかになってきました。

ソ連の方が怪しいということで、気象庁が、過去数日間の気象データを分析してみると、どうも風はベラルーシ、ウクライナの方から吹いて来ることがわかったのです。

すぐさま空軍の偵察機をソ連国境ギリギリまで飛ばしました。当時はバルト三国がソ連の一部でしたので、偵察機をバルト三国の領空ギリギリまで送ってサンプルを取り、その日のうちにソ連に「おたくが問題ではないのか?」と突きつけたところ、ソ連が渋々それを認めたのでした。

スライド ヨーロッパの汚染地図

で、汚染の結果がこうなっております。

ここから判るように、ウクライナやベラルーシ、ロシアだけではなく、中央ヨーロッパや北欧も高い濃度の汚染を被ったことがわかります。

スライド スウェーデンとノルウェーの汚染地図

スウェーデンはその年の9月に、航空モニタリングで全国の線量を測って汚染マップを作成しています。

スウェーデンで汚染度が高かったのは中部の沿岸部とその内陸部でした。ここには少数民族のサーミ人という人たちが住んでいますが、その地域が多くの被害を被りました。

それに対して首都であるストックホルムや、ヨーテボリは軽微な汚染に留まりました。

では、ノルウェーはどうだったかと言いますと、ノルウェーでは核戦争に対する防衛体制はスウェーデンほど進んでいませんでした。

スウェーデンは中立を保っていたために、東西冷戦の中で核戦争に対する備えもある程度できていました。それから自国に原発もあるため、放射能汚染に対する備えもあったわけですが、ノルウェーの方はそのような備えができていませんでした。

ですので、航空モニタリングというのは、実は2011年になって初めて、ヘリコプターを使った調査が行われています。

事故後、赤い方の左側の地図は、事故後の汚染マップですが、これは各自治体の数カ所で土壌サンプルを取って平均を出して、土壌のセシウム濃度を表示しています。

ノルウェーで汚染が酷かったのは中部のこの辺りですね。

それから南部のこの辺りになります。

この地図で一番濃いところというのはセシウム137の濃度が1㎡あたり5万Bq以上のところですが、1㎡あたり5万Bq以上の汚染地域に住む人口は、ノルウェー人全体の1.5%になります。これは6万人に相当します。

この、上の◯で囲った部分、ちょっと出っ張っていますが、その部分が、スウェーデンのこの部分に食い込むようになります。

実はこのふたつの地図はつながっているのですが、これを見ればわかるように、汚染地帯自体も、やはりスウェーデンとノルウェーとつながっています。

スウェーデン側にサーミ人が多く住むのと同様、ノルウェー側にもサーミの人が多く住んでいます。

サーミの人は実は、ノルウェー北部にも住んでいて、「北サーミ」と言われています。

それに対し、今回被害を受けたのは「南サーミ」の人々でした。

実は北サーミの人たちの地域は核実験で飛散した放射性物質が多く降り注ぎましたが、チェルノブイリの事故ではむしろ南サーミの地域に汚染が集中しました。

スライド 写真:サーミ人とトナカイ遊牧

これはサーミ人のトナカイ遊牧の様子を描いたものです。これはスウェーデンの放射線安全庁の機関誌の表紙から取ったものですが、このようにトナカイ遊牧をしながら生活をしています。北欧の原住民です。

今回、私たちの視察旅行ではトナカイを飼育している農家の訪問がプログラムに入っていました。ですので、私はてっきりそのサーミの人々の住む地域を訪れるのかと思っていましたが、実は違っていました。

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